うつ復帰からの地獄の闘い

〜その後の話〜

残念ながら「完結編」ではありません。次回こそ完結しますように。

第1章 「うつ病は心の風邪」〜いつ、誰が罹ってもおかしくない!〜 | 第2章 もう仕事に行けない…!「うつ病復帰」から地獄の闘いへ | 第3章 うつ復帰からの地獄の闘い 〜その後の話〜 | 第4章 うつ復帰からの地獄の闘い〜とりあえずの完結編〜 | 第5章 うつ病からの生還 〜その後の話〜


どんどん職場が崩壊していく…

 職場の空気がピリピリし、職員間の連絡も連携もあったもんじゃない…ということは、前回書きました。誰が何をしているのか分からない。忙しすぎる人とそうでない人との仕事量の差が大きすぎる…こういう事は、普通なら係長が調整をすべきものであるはずです

 しかし、係長は自分の仕事をほったらかし、やれ講師を頼まれただの、やれ学会で仙台にいないだの、鉄砲玉のように「出かけたらしばらく帰ってこない」という状態。係長としての役目をまったく果たしていないのです課長もたまりかねて「外部の仕事は引き受けないように」とクギをさすものの「いや〜だって断れなくてねぇ〜」と悪びれた様子もない。大体、係長が課長と“タメ口”で話している、というのも異常なことです。友達と勘違いしてるんじゃねぇよ!

 そこで、私は毎年9月頃に出す「自己申告書」に、4月からのいきさつを事細かに書き(A4裏表ビッシリ別紙つけて)、人事に提出しました。ただし、難点は「自己申告書の提出は所属長を経由して」ということ。ま、いいや。課長にどう思われてもいい、どうせ私はすぐ異動だからと覚悟を決めて、正規のルートで出しました。

 その後、課長は何度か人事から呼び出しを食らっていたようなので、私はてっきり「私の異動のことで動いてくれてるのね」と思っていました。しかし人事も考えてくれていて「年度途中で異動したら目立ってしまい、私自身の評判も良くなくなるだろう、それよりは病休で休んで、年度末にちょっとだけ出るようにすれば異動させる」とのことでした。もちろん、一家の大黒柱の私には、そんなことできません、少しでも超勤して生活費に当てなくてはならないのです。とにかく必要最低限の仕事だけして、耐えしのぎました。

 しかし、そのうち事務処理すら満足にできない状態に。急に「いついつまでにお金要るから用意して欲しいんだけど」そんなこと急に言われたって、こっちにも「手続き」というものがあります。「今さら言われたって会計課に行けないじゃないの!」とぶち切れることもしばしば。「臨時前渡の窓口払い」のなんと多いこと! 旅費受け取りのなんと多いこと! 毎日のように会計課に通う日々…そんな苦労をみんな知らない。

 また、ある時は移動学習のバス借上げ代の見積書が届かない、届かない…、と思っていたら、その講座の担当者が「何で2回も来るんだろう?」(そりゃ届かないから私がもう一回請求したのである)と言いつつ机の引出しに隠し持っていて、私がバス会社に出向いて書類をもらって頭を下げてくる、ということもありました。

 カネが必要な時だけ擦り寄ってきて、カネが手に入ればもう知らないよ、というのはまるで今はやりの「おれおれ詐欺」のようですね。どうして私だけがみんなの尻拭いに奔走しなきゃならないの? 怒りと絶望は限界に達しました。

よたび、仕事を休む

 こんな崩壊した職場にいるのは危険だと感じ、よたび仕事を休むことにしました。今回は、休むことはよっぽど親しい人意外にはナイショ、共有フォルダに私の仕事と引継ぎ事項を全部残して休みに入りました。

 上司はさぞ慌てたでしょう。でも、そうでもしなければ私のココロは壊れてしまう…できる限りの「自衛策」だったのです(それを課長は「社会人らしからぬ行為」と私を非難したんですよ! 話せる雰囲気だったらこんなことしないわよ! そんな雰囲気を作り出しておきながら自分のことを棚に上げて私を非難するなんて100万年早いんだよ!)

 休みの間はこのHPを更新したり(それがストレス解消になる)、時々病院に行ったりしてのんびり過ごしました。食事の支度も夫にしてもらい、上げ膳据え膳のお姫様生活です。

 休みの期間はやはり3週間(前のページの理由と同じ)。あっという間に過ぎて年の暮れ。その間、労働組合と話をして、とにかく年内のうちに5月の“事件”についての謝罪を勝ち取ろう! と、人事を通して動いていました。私は「復帰すれば奴らの『謝罪』が待っているのね」と半分期待に胸膨らませて出勤しました。

 ところが、初日も次の日も、謝罪の「しゃ」の字すらありません。組合に聞こうにも、普通のところは26日が御用納め。聞くに聞けないではないか! どうなってるんだ〜!

ついに、行動を起こす

 12月28日。御用納め。「このままでは気持ちよく年を越せない」と、私はついに行動に出ました。やはり恐ろしいので、抗不安薬を飲み…飲んで…また飲んで…気付いたらオーバードーズになっていました。トータルで20錠くらい飲んでしまったでしょうか(記憶が定かじゃない)。そして、ロッカールームで倒れたのでした。

 どのくらい時間が経ったでしょうか…いつも相談に乗ってくれるTさんが、ぎっくり腰の後遺症があるにもかかわらず、ロッカールームから私を運び出してくれました。そして、夫へ連絡してくれました。

 夫はすぐ来てくれて、さぁ、そこからですよ、面白いのは! 課長・係長と夫・私がソファで向かい合い、話をすることに。私は、今までされてきた仕打ち、組合に相談したこと、人事にも話が伝わっていること、などをすべて夫に話していました。しかし、奴らは「知らぬ存ぜぬ」を押し通したのです。年明けの病休のことだって「そんなこと人事から言われていない」(アンタが聞いてないんでしょ)「5月のことはあなたに向かって言った言葉じゃないから」(でも傷ついたことは事実!)まるで話が食い違っているのです。いや、人事から言われた内容を理解する、の〜みそがないんでしょうし、当然「人がこう言われたらどう思うか」という想像力なんかないのでしょう。

 夫と私は当然反論。「でも私が傷ついたことは事実です!それをいまだに引きずっているんですよ!」「そういうのが『言葉の暴力』と言うんですよ、だから投書したんじゃないですか!」テーブルをバン! と叩き、激しい口論に。向こうは「こっちだって気を遣ってたんだ、“普通の人”ならまだしも…」な、なんだと〜! 「じゃ、私は“普通の人”じゃないんですか?」私を心の奥から差別しきっていたことを、ポロリとこぼしたのです。ついにシッポを出しやがったな! よぉ〜し! 一気に攻撃だ〜〜〜!

 しかし、高度な私たちの頭脳と奴らの低脳な頭脳とは、次元があまりにも違いすぎたと感じました。話がかみ合わないんです。会話にならないんです。これ以上話しても埒があかない。いずれ彼らはまた問題起こして、懲戒免職にでもなるんでしょうから、ほっとけば自滅することでしょう。奴らにはまだ10年近くあるから、必ず何かやらかすはずです。期待しましょう、フッフッフ…

 でも、私たちには課題が残っていました。そう「謝罪を勝ち取る」ことです。4月からのこともあるし、5月の事件で追い討ちをかけられて、職場に行きづらくなった…それは事実に間違いない。まず課長から謝罪。「今後、気をつけますので…」で、肝心なのは「口は災いの元」の係長です。「係長からはひと言ないんですか!」私が責める。「すみませんでした、気をつけます…」私「もっとみんなに聞こえるように言ってください!」「申し訳ありませんでした、今後気をつけます」私「…わかりました。以後このようなことのないように気をつけてください」立場逆転♪キモチイー)

とりあえず謝罪は勝ち取ったけど

 奴らの辞書にはおそらく「改心」という言葉がないのでしょう。この日の長いやり取り、いつまでも非を認めようとしないまわりくどい言い訳を聞いていても明らかです。「自分だけが正しい」と思って50余年間生きてきたのでしょう。なんてかわいそうな人たち。誰も指摘してあげなかったのね(無理無理!)。私たちとは次元の違う世界で生きている人間たちだ、ということがよく分かりました。世の中にはこんな“人でなし”もいるのですね。そしてこんな“人でなし”でも課長になれる役所とは…改めて非常識な組織だと認識しました。

 初めて会った人種なのでビックリしましたよ〜。と同時に勉強になりました。

 闘いは私が異動する3月まで続くでしょうね。だって次元が違うから意思の疎通ができないもの。何語だといいのかな。宇宙語?

 なるべく「君子危うきに近寄らず」で穏やかにいきたいものです。でも私“普通の人”じゃないからね。いくら問題起こしてもいいわけだ、楽しみだわ〜! 

 次回はいよいよ完結編。  完結編に行く>>

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